新しい動き
神戸大学を定年退官したのが2009年3月31日です。定年退官後のおよそ十数年間を振りかえって見ますと、2009年3月31日に神戸大学を定年退官するとほぼ同時に、外からのオファーを全て断って西宮市中前田町に『inoue海事科学研究所』を開設しました。その後およそ10年経過後、2020年9月30日にコロナ禍等の事情から西宮市中前田町のオフィスを閉鎖し、西宮浜に研究所を移しました。そして、2023年09月30日には、inoue海事科学研究所の西宮浜オフィスを閉鎖するなど周辺の方がたのご迷惑も顧みず身勝手ながら立て続けに、自分自身の研究環境を変えました。
(2020.09.30【Inoue海事科学研究所事務所移転】記事など参照)
ここまで、inoue海事科学研究所を研究活動の場として、海事社会、海事教育、人材流のテーマを軸に研究を続けてまいりました。ここまでの功績に関係各所から、表彰状、褒章状、感謝状等をいただきました。
(2020.07.23【海の日 近畿地整局長表彰】記事など参照)
私の活動に目を止めていただいた方々には、この場を借りて御礼申しあげます。
inoue海事科学研究所としましては、今後は船を支援船として医療に活用する活動のみ、これ迄通り西宮浜オフィスにおいて事業を継続し、2024年03月31日ににおけるすべての事業に終止符を打つためにフルリタイアメントを宣言するに至りました。公職は後任探しの面から、東京地裁の専門委員、岡山県の港湾審議会委員が残っておりますが、後任が見つかり次第、後を託そうと思っております。また、災害時支援船活用委員会委員長等、まだ少し、役目が残っていますが、誠に勝手ながら、ほぼ、すべての活動に終止符を打ちました。
政府内閣官房は、船舶活用医療推進本部設立準備室を立ち上げましたが、そのための政府専用の船を建造するのではなく既存の船に医療機能を持たせる方向で検討しているようです。 私の個人的見解では、新船建造、保有、係留、日常的維持作業、稼働活動など費用がかさむことは避けて、ほかのアイデアで実現することが望ましいと考えています。
これまでに指摘してきたように政府は、視線を切り変えて大型長距離フェリーを被災者輸送や避難所に利用するのではなく、そして、この方法が抱える中途半端な活用による問題解決に固執するのではなく、その代替案として我々が2020年01月12日に実施した神戸-坂手(小豆島)-高松航路に現在就航中のジャンボフェリー(中距離フェリー)やその他、岡山-土庄(小豆島)-高松を結ぶ現在就航中の両備運輸(中距離フェリー)を患者の輸送に利用し、また、中距離フェリーの寄港地自治体と協定を結び、熊本地震や能登半島地震でも顕著になりつつある自家用車車中泊の避難者にも対応できるように、新たな考えを見据えて再検討すべきとも思われます。また支援物資輸送に関しては平生から数週間分の支援物資をコンテナに備蓄しておき、いざというときにはコンテナごとフェリーで移送するといった支援形態も考慮すべきであろう。
船を用いた被災者搬送訓練については2020年01月12日に災害時支援船活動委員会が中心となって実施したジャンボフェリー「りつりんⅡ」による神戸―坂手(小豆島)間の被災者搬送訓練を最後に訓練についてはすべてやりつくしました。なお、この活動は神戸市長、高松市長、小豆島町長の協定書調印をもって一段落したと認識しております。
映像による取材を受けるたびに感じることは、昔の画面に映る若々しさに比べて、近年の画面は私自身「老化したなぁ」、というのが感想です。「よる年波には勝てず」です。そろそろ、フルリタイアメントの時機ですよとサンテレビが教えてくれているのかもしれません。そんなこんなでサンテレビの映像取材をお受けしたあと、これを最後に筆をおく決心をしました。
阪神淡路大震災以来、災害時に透析患者の移送に船を医療支援に使用するという着想からここまでおよそ30年、最初は日本透析医会のオファーに基づき、週に数回、頻繁に透析を受けなければならない患者の方がたが災害時に透析クリニックに通う足の確保を船で代替できないかとの発想から始まった行動が、いまや、患者の搬送から帰宅困難者の脚の確保(キャリーシップ)のみならず、近隣からの応援者やボランテイアの方々の活動拠点の確保(ホテルシップ)被災者の輸送(ドクターシップ)までアイデアが広がりましたが、当初の思いが完結しないまま、組織をたばねるむつかしさ、いざというときには国が正面に立って、すべて計画から運用までをアレンジするまでには苦労の割にいまだに手つかずの状態から脱し得ないもどかしさも加わって永年の苦労が目に見えた気がします。
この後は、熊本地震や能登半島地震を契機に見えた自家用車車中泊避難、コロナなどによる感染症と避難所の設置対策といった新たな課題に加え関西空港に取り残された方々の脚の確保の問題や帰宅困難者の扱いなど、大阪万博を絡めて如何に向き合うべきかを災害時支援船活用委員会の作業部会で了承を得るべく取りまとめたうえで、私として最後の筆をおこうと考えています。
今後、西宮浜のオフィスを家族からの逃げ場として使おうとしておりますが、そのための準備として、2023年4月からステンドグラスをテーマにしたグラスアート教室に通っております。
これまで、陰となり・日向となって私を応援していただいた方々には心からお礼申しあげます。ありがとうございました。
2024年3月31日
井上欣三
2024.03.31 井上欣三神戸大学名誉教授
フルリタイアメント宣言 (78歳)
神戸大学を定年退官したのが2009年3月31日です。定年退官後のおよそ十数年間を振りかえって見ますと、2009年3月31日に神戸大学を定年退官すると
ほぼ同時に、外からのオファーを全て断って西宮市中前田町に『inoue海事科学研究所』を開設しました。その後およそ10年経過後、2020年9月30日にコロナ禍等の事情から西宮市中前田町のオフィスを閉鎖し、西宮浜に研究所を移しました。そして、2023年09月30日には、inoue海事科学研究所の西宮浜オフィスを閉鎖するなど周辺の方がたのご迷惑も顧みず身勝手ながら立て続けに、自分自身の研究環境を変えました。(2020.09.30【Inoue海事科学研究所事務所移転記事など】参照)
ここまで、inoue海事科学研究所を研究活動の場として、海事社会、海事教育、人材流のテーマを軸に研究を続けてまいりました。ここまでの功績に関係各所から、表彰状、褒章状、感謝状等をいただきました。(2020.07.23【海の日 近畿地整局長表彰記事など】参照)私の活動に目を止めていただいた方々には、この場を借りて御礼申しあげます。
inoue海事科学研究所としましては、今後は船を支援船として医療に活用する活動のみ、これ迄通り西宮浜オフィスにおいて事業を継続し、2024年03月31日ににおけるすべての事業に終止符を打つためにフルリタイアメントを宣言するに至りました。公職は後任探しの面から、東京地裁の専門委員、岡山県の港湾審議会委員が残っておりますが、後任が見つかり次第、後を託そうと思っております。また、災害時支援船活用委員会委員長等、まだ少し、役目が残っていますが、誠に勝手ながら、ほぼ、すべての活動に終止符を打ちました。
政府内閣官房は、船舶活用医療推進本部設立準備室を立ち上げましたが、そのための政府専用の船を建造するのではなく既存の船に医療機能を持たせる方向で検討しているようです。
私の個人的見解では、新船建造、保有、係留、日常的維持作業、稼働活動など費用がかさむことは避けて、ほかのアイデアで実現することが望ましいと考えています。
船を用いた被災者搬送訓練については2020年01月12日に災害時支援船活動委員会が中心となって実施したジャンボフェリー「りつりんⅡ」による神戸―坂手(小豆島)間の被災者搬送訓練を最後に訓練についてはすべてやりつくしました。なお、この活動は神戸市長、高松市長、小豆島町長の協定書調印をもって一段落したと認識しております。
これまでに指摘してきたように政府は、視線を切り変えて大型長距離フェリーを被災者輸送や避難所に利用するのではなく、そして、この方法が抱える中途半端な活用による問題解決に固執するのではなく、その代替案として我々が2020年01月12日に実施した神戸-坂手(小豆島)-高松航路に現在就航中のジャンボフェリー(中距離フェリー)やその他、岡山-土庄(小豆島)-高松を結ぶ現在就航中の両備運輸(中距離フェリー)を患者の輸送に利用し、また、中距離フェリーの寄港地自治体と協定を結び、熊本地震や能登半島地震でも顕著になりつつある自家用車車中泊の避難者にも対応できるように、新たな考えを見据えて再検討すべきとも思われます。また支援物資輸送に関しては平生から数週間分の支援物資をコンテナに備蓄しておき、いざというときにはコンテナごとフェリーで移送するといった支援形態も考慮すべきであろう。
映像による取材を受けるたびに感じることは、昔の画面に映る若々しさに比べて、近年の画面は私自身「老化したなぁ」、というのが感想です。「よる年波には勝てず」です。
そろそろ、フルリタイアメントの時機ですよとサンテレビが教えてくれているのかもしれません。そんなこんなでサンテレビの映像取材をおうけしたあと、これを最後に筆をおく決心をしました。
阪神淡路大震災以来、災害時に透析患者の移送に船を医療支援に使用するという着想からここまでおよそ30年、最初は日本透析医会のオファーに基づき、週に数回、頻繁に透析を受けなければならない患者の方がたが災害時に透析クリニックに通う足の確保を船で代替できないかとの発想から始まった行動が、いまや、患者の搬送から帰宅困難者の脚の確保(キャリーシップ)のみならず、近隣からの応援者やボランテイアの方々の活動拠点の確保(ホテルシップ)被災者の輸送(ドクターシップ)までアイデアが広がりましたが、当初の思いが完結しないまま、組織をたばねるむつかしさ、いざというときには国が正面に立って、すべて計画から運用までをアレンジするまでには苦労の割にいまだに手つかずの状態から脱し得ないもどかしさも加わって永年の苦労が目に見えた気がします。
この後は、熊本地震や能登半島地震を契機に見えた自家用車車中泊避難、コロナなどによる感染症と避難所の設置対策といった新たな課題に加え関西空港に取り残された方々の脚の確保の問題や帰宅困難者の扱いなど、大阪万博を絡めて如何に向き合うべきかを災害時支援船活用委員会の作業部会で了承を得るべく取りまとめたうえで、私として最後の筆をおこうと考えています。
今後、西宮浜のオフィスを家族からの逃げ場として使おうとしておりますが、そのための準備として、2023年4月からステンドグラスをテーマにしたグラスアート教室に通っております。
これまで、陰となり・日向となって私を応援していただいた方々には心からお礼申しあげます。ありがとうございました。
2024年3月31日
井上欣三